かつてバブルの時期に発表されて、その後事実上凍結されたり、規模が縮小された再開発計画がたくさんありました。いろいろな見方もあるかとは思いますが、「南海難波駅再開発」もそのうちの一つです。
北高南低
大阪では、昔「北高南低」とよく言われました。
これは、主に万博やニュータウン建設と、開発に湧いた北大阪に対して、遅れを取ってきた南大阪、という部分を指していることが多いと思うのですが、これは大阪市内の「キタ」、「ミナミ」にも当てはまるとされていました。
「キタ」はどちらかと言うと大阪の玄関口という部分で大阪駅前、梅田の巨大なターミナルと、それらに直結、隣接した百貨店や地下街などの繁華街のイメージも強いけれど、やはり、キタは東京の丸の内に並ぶ、日本有数のオフィス街であり、緩急はあれど、日頃から新しいビルの建設や再開発が頻繁に行われてきました。
それに対し、「ミナミ」は、なんば、心斎橋を中心とした大阪を代表する巨大な繁華街エリアで、その規模は日本国内で見ても随一の存在ですが、キタに比べるとオフィスビルの需要は少なく、結果、再開発そのものもキタに比べると圧倒的に少なかった、ということからもわかると思います。路線単価もこのころは、キタの方が高かったですしね。
そこへ、関西国際空港が泉州沖に建設されることになって、にわかに「ミナミ」が脚光を浴びることになります。
時は、バブル真っ只中。
南海難波駅再開発構想
ちょうど、南海ホークスがダイエーに売却されたあと、いずれ近いうちに大阪球場はなくなり、再開発をする・・・。そういったニュースが流れていた後のことだと思います。
ある日、新聞の片隅に「南海難波駅再開発」の文字が。
1987年、南海電鉄と、大阪スタヂアム興行、久保田鉄工(現:株式会社クボタ)、高島屋、ニッピの5社が「難波地区再開発事業研究会」を発足し、度重なる協議の末、この際開発事業のコンセプト案を発表したのです。
「ゲートシティ」
関西国際空港が開港すれば、難波は多くの外国人を迎えるゲートになるので、それにふさわしいまちづくりをする。というものです。
60階建て250mの超高層ビル3棟という破壊力
その新聞には、コンセプト案の立体模型が掲載されていました。
そこには、すでに建設中であった「南海サウスタワーホテル(現・スイスホテル南海大阪)」とともに、数棟の100m級の超高層建築物の中に、3棟の超高層ビル - 60階建て250m程度 - がひときわ目立っていて、当時高校生だった私は胸が高鳴ったのを覚えています。
80年代後半は ORC200(現・OSAKA BAY TOWER)や、りんくうゲートタワー、WTC(現・咲洲庁舎)など、大阪で初めて200mを超える超高層ビル計画の発表が立て続けにあって、その一つがこの難波駅再開発の新聞でした。
そしてバブル崩壊
バブル崩壊、と言われ始めたのは1991年頃だったでしょうか。
その後の景気低迷は、大阪経済の地盤沈下を促進し、長きにわたる大阪暗黒時代を迎えることになります。数多くの夢と期待に溢れた再開発計画・構想が頓挫。中には星のように煌めいて消滅してしまったものもあります。
そして、南海難波駅再開発事業もその大波に呑まれてしまったであろうことは、想像に難くありません。
その後の難波駅再開発事業
しかしながらバブル崩壊後、ゲートシティ構想は、バブル崩壊のアオリを受けて、事実上白紙になった、という噂も聞こえたように思いますが、それでも難波駅再開発事業は粛々と行われていきました。
1996年には、難波地区区画整理事業が実質的にスタートし、1998年に大阪球場が解体撤去され、2003年10月に、なんばパークス1期分が開業。以降、徐々にではありますが、難波駅再開発は進んでいくことになります。
そして、2007年、なんばパークスがグランドオープン。「難波地区再開発事業研究会」の発足から実に:20年後のことでした。
年月 | 出来事 |
---|---|
2003年10月 | なんばパークス1期竣工(パークスタワー含む)(A-1街区) |
2006年03月 | ヤマダ電機LABI1なんば店オープン (A-2街区) |
2007年04月 | パークス第2期竣工、グランドオープン (A-1街区) |
同年 08月 | ザ・なんばタワー竣工(A-1街区) |
2010年04月 | なんばグランドマスターズタワー竣工(C街区) |
2012年04月 | Zepp Namba オープン (C街区) |
2013年02月 | 南海なんば第一ビル オープン (C街区) |
ニッピがセンタラ・ホテル&リゾートなどと開発計画を始動
ここへ来て、株式会社ニッピは、2019年10月1日に、「当社なんば地区所有地での開発について」にて、難波中2丁目にあるニッピの所有地、A-2街区の東側半分の北側に日本初進出となる センタラ・ホテル&リゾート (Centara Hotels & Resorts)による客室数515室を中心とする34階建ての超高層ホテルの建設計画を発表しました。
建築物は高さ 141.56m で、2020年4月着工、2023年3月完成の予定。
- (参考)ニッピ 「当社なんば地区所有地の開発について」(2019.10.01)
- (参考)大成建設 「難波中二丁目における開発について」 (2019.10.01)
センタラ・ホテル&リゾートなどが大阪・難波に超高層ホテル/客室数515室、20年4月に着工/なんばパークス南側の駐車場に建設 https://t.co/Xw8FXpX9Z6 pic.twitter.com/FZvfwYZRNx
— 建設ニュース (@constnews_info) October 1, 2019
開発に向けて遺跡発掘調査/大阪・難波の34階建てホテル・商業ビル計画/センタラ・ホテル&リゾートなど https://t.co/yvnrf02wMv pic.twitter.com/6dHyIXJrKR
— 建設ニュース (@constnews_info) October 13, 2019
このあたりは、大阪国際空港による高さ制限が適用される地域でもあるのですが、今回の建設予定地における高さ制限は 約 275m 1(海抜)となります。その地域に 141m の建物は少しもったいない気もしますが、これは仕方がないですよね。
難波再開発の今後
研究会の立ち上げから30年が経って、残すところは、
- A街区の LABI1 なんば 東側の南半分: 4,510.62m²
- B街区の第一工区該当部分(現在の住宅展示場): 8,387.68m²
- B街区の第二工区該当部分(現:株式会社クボタ本社): 15,797.12m²
となりますが、クボタが所有している区画に関しては全く音沙汰ない状態になっていますので、それ以外の区画に期待したいところです。
まとめ
ゲートシティ構想、本当に実現してほしかった。
もし実現していたら、大阪の超高層ビルスカイラインはもう少し変わっていたことでしょう。
今の難波は、インバウンドの影響もあって多くの外国人で溢れています。インバウンドの影響がいつまで続くのか、それは誰も予測し得ないことですが、観光だけではなく、ビジネスの拠点としての大阪、難波を目指してほしいな、というのが私の気持ちです。
なんといっても、大阪は東京に比べてアジアに近いですからね。
この難波周辺がどのように変化していくのか、今後も見守っていきたいと思います。
おまけ
例によって、センタラホテル&リゾート 外観パース図などからモデリングしてみたものを、Google Earth に貼ってみたので、その画像を・・
パース図で見えてない部分は想像で作成しています。
日本橋オタロードの駐車場からの見た目。
日本橋方面からの見た目
なんばパークス南西より
再開発地区を俯瞰
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ちなみに大阪駅南側(梅田)で、およそ 185m になります。これは、大阪駅前のほうが難波よりも大阪国際空港に近いためです。 ↩
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